紹介状


2010年 5月14日。元の病院の医療安全室と相談室の職員立会いの下、
主治医に、紹介状をお願いしました。
(その時の会話は、了解を得て録音させて頂きました)

最後の最後まで「手術とは関係ない!!」と言い張る主治医に、

「じゃあ、関係ないから、診てやってくれって書いて」と、お願いして。

負けるが勝ちvv

『お願いをする』ことに、もう、抵抗はなくなっていました。


2010年 6月 8日。
紹介状を書いてもらった病院での診察の日でした。

この病院・・・家から近い大病院の、2番目に近い病院です。
電話では、紹介状がなければ、一切、受けてもらえなかった病院。


診察の日の前日・・・

紹介状を手にして、しばし、悩みました。

「どんなことを書いてあるのだろう??」と。

どうしても気になって、封印してある封筒を開けました。こっそり。
上はベッタリと糊付けしてあったから、封筒の下を開けて^^
コピーを取りました。


よく、まぁ〜と、呆れるくらいに、またまた嘘が並んでいました。

録音を撮ってあるのに、
私は、見るコトが無い(?確認できない?)と思っているのでしょうねぇ


腰痛のため近くの整形外科で治療を受けていましたが、○○病院で
「筋肉がない、筋肉が萎縮している」と言われたことより、
(メラノーマの)手術時に筋肉を切除したためではないかと思うようになりました。

なんて書いてありました。

メラノーマにおいては、やっぱり、小さな頃からあったホクロにされちゃっていました。


小児期より右腰部にホクロ状皮疹あり、平成2年12月頃より痒み(+)で掻破、増大傾向。

なんて。。

これ、反対に、不思議に思うのだけど・・・
子供の頃に、腰のホクロなんて、鏡に映さなきゃ見れないトコロのホクロを、
見ている人なんて…日本中に何人居るのかしらん〜??

私には、子供が3人居るけれど。。
自分がメラノーマになっているから、子供の体中のホクロはチェックしたけれど、
それでも、3人の体のホクロなんて、背中や腰にあるのかどうかなんて、覚えていないわん。

私は、若い頃、泳ぐ時は、いつもビキニを着ていたのだけど・・・
だから、友達から「顔にはホクロ多いけど、体には、全然、ホクロないねぇ〜」って言われていたし。
        
.コレ↑夜の海                               って、↑は、関係ない写真です(^^ゞ
平成2年12月28日の初診の時に、ちゃんと、
「いつからあったのかは、覚えていないけれど、二十歳のサーフィンをやっていた頃、
日焼けで体中の皮が捲れた時には、なかったホクロです」と、伝えてある。
し、
夏頃から、スカートのウエストのベルトを外すと、シカッと痛みが走るようになり、
鏡に映してみたら、そこに、このホクロがあったことと、

だから医学書を何冊も読み漁ったけど、
全部、大きなホクロしか載っていなかったと。

次男坊(髪が抜けている)を、診てもらいに行って、
待ち時間中に、廊下に貼ってある掲示物を全部、目を通して〜
私と同じ大きさのホクロの写真があり、『全身に転移』と書いてあったから、
だから、
気になって、次男の診察が終わった時に、
「あんなに小さくても、全身に転移ってあるの?」と聞いてみた。。。

それが、平成2年12月28日のこと。

その前に、右の鼠頚リンパに、ごろごろシコリができていたから、
愛知県がんセンターに電話で、「これは、何科にかかればいいのでしょうか?」と、
問い合わせていたのが、11月。

そのシコリも、手術の後には、無くなっていたけど。

そんな私の人生まで、改ざんされちゃうものなのかしらん??


まぁ、いい!!
嘘をつくことに、慣れきってしまっている人間の書くコトだもの。。。
仕方ない。。

仕方ないとは、思いつつ・・・

「こんな紹介状を読んで、まともに、診てもらえるのだろうか??」と。
それが、心配でした。

「紹介状を、来る途中のタクシーの中に落としちゃいました〜」とでも、嘘をつこうかと考えてみたり。

「私まで、嘘つきになるの??」なんて、やるせなくなったり。。

病院に向う気持ちが、浮いたり〜沈んだりしていました。


なるようにしかならない!!
そう腹を括って!!

本気で、「ココがダメだったら、東京へ行こう」と決めていました。

平成2年出版の、朝日新聞・医療ジャーナリストの田辺功氏が書いた『このがん、この病院』て本に、
悪性黒色腫では、私の主治医を推薦されていたから〜

田辺功さんに相談して(あすぱらクラブ)、本気で、東京の病院を紹介してもらおう〜なんて考えていました。


でも、
問診表ってものが、診察の前にありました^^

私の19年間。
体の症状のある部分を記載する『図』の横に、
箇条書きで、横10文字くらいを、10行ほど書けるスペースがありました。

感情を抜いて、右足下垂から〜私の19年間の症状を書きました。

そして、次の項目が、
「この症状で、かかった病院・医院はありますか?」との質問。

去年、7月3日の後、回った病院を全て、書き並べました。

人気の医師らしく、「待ち時間が長くなりますから、他の医師に回ってもらってもいいですか?」と、
事務の女性が確認に回っていました。

勿論、私の答えは、「どれだけ待っても構いませんvv」です。

待ってよかった。
待った甲斐のある医師だったと思います。
今迄に会ったことのない医師の空気を持っていて・・・
なんていうのか。。。
清々しい風が流れている感じがしました。

元・主治医の書いた紹介状と、私の書いた問診表をシッカリ読み比べてくれてました。
紹介状も、私が読めるように、おおっぴらに位置してくれていて、
シッカリ「聞くぞ!!」って受け取れました。

いろいろ、私の箇条書きの裏付けの質問が並びました。

「こんなに病院回ったの?」
「○○大学病院も行ったの??」
「△△病院にも行ったの??」
「そうかぁ〜」
「19年かぁ〜」

こと細かに、ちゃんと、パソコンに打ち込んでいってくれて^^
次、
手術の跡を「見せて」と。
元・主治医の紹介状には、背中のコトは記載されていないけれど・・・
肋骨の一番下の骨に沿って、えぐられているトコロも見落すことなく、
「ここも、取ってあるんだね」と。

・・・って、取ってあることに、私は、何も文句を言うつもりもないのだけどね。
取ったコトを隠してしまった元・主治医に・・・(><)



ベッドに寝るように指示されて・・・
筋肉のチェック。サイズを測ったり、
筋力チェック。
曲げて・押して・・・「はい! 押し返して!!」
親指だけを押して、「はい、押し返して!!」とかとか。

またまた、パソコンに結果を入力しながら〜

「筋力・筋肉量・・・左右に差がないね。 よく鍛えてるね^^ それは、これからも続けてね^^」
って褒めてもらえました。
この言葉に、涙が出そうになりました。
筋肉自体に差があるから、
左右対称の筋トレをすると、肝心の背骨や骨盤を歪めてしまう。
(それが、この4年間ほど)
背骨を優先して左右個別の筋トレをすると、全体としての筋力・筋肉量に差ができて、びっこになってしまう。
独学だから、本当に苦労しているのだけど、
今迄、それを認めてくれた『プロ』には、出会えていなかったから。。
初めて、報われた気持ちになりました^^ ウルウル。。


そして、本題に入りました。

「神経をひっかけちゃってるのかもね」と。
神経を切っちゃってるなら・・・
「治療が無いから、その症状の対策として、車の改造の許可を書かないとね!」と。

○○大学病院で撮ってもらったMRI(のディスク)を出して見てもらい・・・
腰椎4番・5番のトコロが、少しズレているのを確認してもらいました。
(他の病院でも、「こんな程度は、どうってことないよ」と言われているレベル)

「この位置は、この症状・・・うぅぅん。。。」
「こんな程度じゃ、こんなに症状出ないんだけどね」
「うぅぅぅん」

と、いろいろ試行錯誤の言葉が並びました。
そして、

「白黒つけようか?!」と。

「ヘルニア・狭窄なら治療にもなる検査。神経切ってるなら痛い思いをするだけ!治療は無い!」

「どうする??」

捨てるような声じゃなかったです。
「19年間・・・」と何度も何度も繰り返してくれていて。。
私の人生を・・・ 少なくとも、元・主治医の紹介状のままの受け取り方では無い!!と、伝わってきました。


検査は、脊髄造影と、神経根造影・ブロック

脊椎に造影剤と、他にステロイドも入れるそう。

その検査をして、症状に変化がなければ、『手術で神経を切ってある』と、医学的に答えが出る!

脊髄の神経根に直接、針を刺す検査。

19年間・・・もう、答えを出すのは、それしか無いようです。
お願いしました。

痛いだろうし、怖いけど・・・それより何より、もう、『答え』が欲しい☆

安静も必要な検査らしく、2泊3日。

7月に、検査入院します。


とは言え。。。
この紹介状に、元・主治医は、「腰痛については貴院において・・・」と整形のみで書いてるから、
まだまだ、私の血液検査をしてくださる病院は見つかっていません。

ったく!!
どこまで粘着質なんだか。。。(><)